カテゴリー別アーカイブ: 訪問看護サービス(彦島迫町)
【シリーズ】多くの看取りを通して感じたこと3(訪問看護)
今回は、87歳、膵頭部癌末期の頑固な男性の方のお話です。
この方は、黄疸が出て病院受診し膵臓癌と確定診断を受けました。手術しないと決められましたが、糖尿病も発症してしまい血糖コントロールのためインシュリン注射が開始となりました。入院中なかなか自力でインシュリンを打つことが出来ず、退院と同時に訪問看護が導入となりました。
ターミナルではありましたが、病状的には落ち着いており、一人暮らしを続け、自分で買い物に行ったり、他県に住んでいる娘さんやお孫さんが尋ねてきた時は、遠くまで外出もされていました。時に低血糖を起こすこともありましたが、それ以外は、健康な方と何も変わらない生活を送っていました。近所の方にも支えられ、友達と出かけては楽しく生活されていました。体の痛みは、「少し、チクチクする」という程度の痛みで生活に支障は見られませんでした。訪問開始から5ヶ月を過ぎたある日、多量の吐血、下血を起こし救急搬送を行いましたが、入院から4時間後にお亡くなりになりました。
この方の余命は、1年以上はあるだろうと言われていましたが、腫瘍破裂により思ったより短い命でした。毎日の血糖測定とインシュリン注射を行うために訪問看護が開始されたのですが、訪問するとすでに自分で行っており、看護師は数値の確認だけを行うことが多くなりました。訪問回数を減らすことを提案したのですが、「毎日来てほしい」と言い続け、家族と相談の結果、安否確認も兼ね、毎日訪問を行いました。訪問時は、自分の作ったお餅や焼き芋を看護師に振る舞い、アルバムを見ながら亡くなった奥さんの話や、自分の故郷の話を楽しそうにされていました。一人暮らしのご本人様にとっては、看護師が来る時間を楽しみにされていたようです。多量の吐血、下血を起こしたときは、もっと早くに前駆症状に気づいていたら、命を落とすことはなかったのではないかと後悔しました。しかし、医師より、「手術をして施設に行くように促したが、最期まで自分の生きたいように生き、好きなことが出来て本当によかった」と言われ、私達看護師も救われました。家族も、同じ思いを抱いたそうです。
私達は、多くの癌患者様に接する中で、自分の行った看護が、本当に正しかったのか、いつも考えさせられます。最期の時を迎えた時に、本当にご本人様の望んだ最期だったのか、医療従事者のエゴで終わっていないか常に考えるところです。多くの看取りの中で感じることは、人の命は長さではなく、「どのように生きたいのか、生きたのか」が重要ではないかいうことです。自宅で最期を迎えるということは、死を待つということではありません。いかに「自分らしく生きる」か、生き方を選択することではないかと思っています。
訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子
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ふくし生活SOS出張相談会inシーモール下関(法人事務局)
下関市内の社会福祉法人の会員法人で構成される、『下関市社会福祉法人地域公益活動推進協議会』が主催している「ふくし生活SOS出張相談会」に参加してきました。
この相談会は、会員法人が有するマンパワーとその専門性を活かして、市民の皆さんが気軽に立ち寄れるショッピングモール等で福祉・介護・子育てなど福祉の総合相談会を開催することで、相談窓口を身近に感じていただくとともに、専門性の高い相談支援を行うことで市民福祉の向上を図ることを目的としています。
私たちの法人が担当なのは、11月10日に開催されたシーモール下関での相談会と、11月17日に開催予定のゆめタウン長府での相談会です。
シーモール下関の相談会では、血圧測定や体脂肪測定、もの忘れ診断などのお手伝いと相談の受付を行いました。
制度のはざまで相談することなどができず、悩まれている皆さんの悩みが少しでも解決できるよう今後も協議会の会員としてお手伝いが出来ればと思います。
法人事務局 地域活動推進委員会 髙下康司
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インシュリン自己注射におけるかかわり(訪問看護サービス)
日本における糖尿病患者は近年、1000万人を越えたとの報告がありました。自宅でインシュリン自己注射の治療を行っている人も年々増えているようです。
インシュリンの自己注射や血糖測定、低血糖時の対応など若い時にはできていたことが、高齢となりできないことが増えていき、血糖コントロールが安定しない状況となり病状が悪化していく結果となっていきます。
身体障害のある息子さんと高齢で左上下肢の麻痺があるYさんは、二人で生活をされています。Yさんは、糖尿病で内科に通院していましたが、インシュリンの自己注射が必要な状態となりました。しかし、高齢で体が不自由なYさんは自らインシュリンの自己注射をすることができません。そこで、訪問看護がご自宅にうかがった時と、デイサービスに通所されている時に血糖測定・インシュリンの自己注射をすることになりました。息子さんと二人では食事療法は全くできていない状況でしたが、サービスを利用してインシュリンの自己注射を継続して行うことで血糖値が徐々に安定し内服薬を減らすまでになりました。
高齢でインシュリンの自己注射が自ら出来なくてもサービスを利用することで継続して施行することでき、病状の悪化を防ぐことができます。今後も在宅で療養される利用者様の助けとなり、病状悪化の防止に努めたいと思います。
訪問看護サービス 看護師 前田圭子
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いつも、頭が下がります(訪問看護サービス)
私達、訪問看護師は、毎日、あるデイサービスに訪問に行くのですが、ここの職員さんの接しかたには、いつも感心させられます。このデイサービスの利用者様は、小人数で認知症をお持ちの方がほとんどです。今あった出来事も忘れてしまうほど、重症な方もいますが、比較的穏やかな方が多く、いつも認知症を患っているとは感じられないほど、しっかりされています。(これも、職員さんの関わりがいいからだと思っています)
先日もちょうど、ごはん時に訪問したのですが、お昼前になると誰に指示されることもなく、ある利用者様が席を立ち、お茶の準備を始めました。急須に入れたお茶を湯飲みに注ぎ、お盆に入れて一人一人に配って回ります。びっくりした私は、「○さんすごいね」とデイサービスの職員さんに声かけしました。「いつも時間になったら、自分からお茶の用意をしてくださるんですよ」とのこと。また、ある日のこと、○さんが配ったお茶を、他のご利用者様がひっくり返し、テーブルの上が水びたしになりました。「あーこぼれた」と思った瞬間、○さんが台所に行き、布巾を持ってきてテーブルをきれいに拭いてくれました。その瞬時の行動は、認知症を患っているとは思えないほどの動きでした。誰に言われたのではなく、自分で判断し行動に移していました。この方は、認知症状が強く、デイサービスの利用を開始された当時は、何もせず、ただじっとされている方だったようです。しかし、職員さんが何か出来ることはないかと模索し、本人様のやりたいことを見つけ、役割を持たせることで、いつの間にか自分の仕事として、責任を持って行えるようになったとのことでした。
認知症を患うと、できないことが増え、周りの人もめんどくさいことから、出来ることも、させないということが多々あります。しかし、ここの職員さんのように、一人一人の残存機能を見極め、その方にあった役割を担うことは、とても重要なことです。自分で出来ることが増えると、その方の自信にも繋がります。人に必要とされていると感じられることは、人を笑顔にし、活気ある姿に変えることが出来るのだと、あらためて認識しました。私も、デイサービスの職員さんのように、生活に密着した関わりが出来るよう、今後も心掛けて行きたいと思います。
訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子
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小さな命 〜命の尊さに違いはない〜(訪問看護サービス)
普段の仕事から“命”に係わることが多くあります。命とは尊いものであり、真摯に向き合わないといけないものだと常々感じています。今回は、普段の仕事から少し離れて感じた“命”について感じたことをお伝えします。
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先日、早朝6時に、父から、「猫がおるんよ。どうしようか」と連絡が入る。「家で飼ってやったら」と私。「2匹も家じゃ飼えんが」と返答あり、電話を切った。午後3時、仕事も休みだし、朝の騒動もあって実家が気になり様子を見に行くことにした。玄関を開けると、母が横になり、泣きながらテレビを見ている。「どうしたん。猫は?」と尋ねると涙声で、「もと居ったところに置いてきた」と母。まるで小さな子供のように泣いている。今日は、気温が30度を超えるそうだし、子猫をそのままにしておくのは耐え難く、母が戻したという場所に見に行くことにした。そこは、西山海水浴場の岩場で、草が生えやや日陰になっているところであった。草むらの間から「ミャー」という微かな泣き声が聞こえる。草を掻き分けると、手のひらに乗るほどの小さな子猫がうずくまっていた。あまりの可愛さに、すぐに抱き上げ実家に連れて帰る。お水と牛乳を与えると、おいしそうに一気に飲み干した。朝から飲まず食わずで、とてもひもじかったに違いない。お腹いっぱいになった子猫は、顔いっぱいの大きな目で私を見つめる。「お母さん、大丈夫。うちに連れて帰るけ。」と母に告げ、車に飛乗った。実は、家には2年前に連れてきた犬がいる。ミニチュアダックスフンドの“りゅう(雄)”だ。この子も、前飼い主が緊急に入院し、アパートに1匹でいる所を保護された。前飼い主は、自宅に帰れない状態となったことから、近所の方が犬を引き取るように、息子、娘さんに連絡をしたが、「家じゃ飼えんから殺処分してくれ」と言われたそうだ。その話を聞いた次女が、私に相談。家族会議を開き、「家で引き取ろう」ということになった。
“りゅう”は、可愛がるだろうか。半信半疑で、子猫を連れて帰る。「ワン、ワン、ワン」とけたたましく吠える“りゅう”。「フー」と腰を曲げて怖がる子猫。「やっぱり、だめか」猫と犬を一緒に飼うのは、無理みたいと思った私は、保護猫を里親に出すことにし、ボランティアの方に連絡をした。担当の方がすぐに来てくれ、子猫の写真を撮り、「今から、SNSで里親募集をかけます。とてもかわいいから、すぐに見つかりますよ」と言われた。猫の引き取りもしていただけたのだが、どうにも気になり里親が見つかるまで、自宅で保護することにした。子猫は、とても人懐っこく人を怖がらないことから、「捨てられたんだな」と感じた。子猫と“りゅう”が出会って初日は、お互いが威嚇しあい、「ワンワン」「フー」の繰り返しで、部屋を分けなければならない状態であった。2日目、何となくお互いの泣き声が優しくなり、猫も犬を怖がらなくなった。その晩、目を離した隙に、“りゅう”が子猫のところに行き、寝ている子猫をペロペロとなめては、かわいがる姿が見られた。その日を境に、お互いを受け入れたようで、いつも一緒に行動するようになった。また、家族会議を開き、子猫をどうするか話し合った。「“りゅう”が、かわいがるから、このまま家で飼おうよ」みんなの意見がまとまり、ボランティアの方に連絡。子猫は、晴れて家族の一員となり、“はる”という名前が付けられた。
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今回、たった1匹の猫のために、里親探しにご尽力いただいたボランティアの方には、本当に感謝しかありません。そして、他種動物にも関わらず、子猫を受け入れてくれた“りゅう”にも感謝です。子猫に対して、父親のように優しく接する“りゅう”を見ていると、人間の身勝手さ残酷さを少なからず感じました。もし、子猫が人間の赤ちゃんだったら、簡単に捨てられるはずもありません。子猫も人間の赤ちゃんも同じ命なのに、なぜ人間は簡単に他種動物の命を奪おうとするのでしょうか。自分達の都合で動物を飼い、いらなくなったら処分するという考えが本当に良いのでしょうか。“りゅう”と“はる”のように、お互いを認め合い、慈しみながら生きていける世の中を作ることが、私達、人間に課せられた役目なのではないかと感じました。
訪問看護サービス 管理者 岡田千恵子
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